第30回 子どもと地域の方々の笑顔を願って

宮城県仙台市立八幡小学校 栄養教諭・大槻友子

今、学校給食を語るとき、どうしても東日本大震災の体験を抜きにすることはできません。今回、原稿を引き受けたものの、いろいろな思いが交錯しなかなか進みませんでした。時間の経過とともに失ったものの大きさを感じる日々です。

給食が始まって、やっと普通の学校生活に

平成23年4月18日。「先生、このパンおいしい」と、にこにこ笑顔の子どもたちの目の前には、パンとロングライフ牛乳が1本…東日本大震災後の簡易給食が始まった日です。そして5月2日、「給食が始まって、やっと普通の学校生活になったね」と、完全給食の再開を先生方と喜びました。
勤務していた小学校は被災地からの転入生が多かったため、(個人への対応は別として)あえて震災に触れることなく、“普通の学校生活”を送れるようにと全職員で心をひとつにしました。“避難”という言葉に悲しい経験を思い出す児童もいたため、“避難訓練”とは言わずに、“校庭に早く並ぶ練習”としました。私も震災直後の食料不足を体験した子どもたちに、“食べ物を大切に”という言葉を使うことはあえて避けました。でも、子どもたちはその経験からしっかり学び取っていました。

子どもたちは経験から学び取っていた

以下は給食週間に募集した作文の抜粋です。
<私が食べ物の大切さがわかったのは地震の時です。その時の給食はパンと牛乳だけでした。いつも食べていた給食から変わりすぎて、いつも明るかった給食時間が静かになってしまったような気がしました。その時から食べ物を大切にしようという考えになりました>
<パンと牛乳だけのメニューになり、いつものおいしく栄養たっぷりの給食と比べるともの足りなかったのが正直な気持ちでした。でも、食べ物不足の中、用意していただいたパンと牛乳だと思うとありがたい気持ちでいっぱいになり、一口一口かみしめて食べたことを思い出します>
子どもたちが、多くの人たちに感謝しながら給食を食べていた事を、本当にうれしく思いました。

校長先生の提案でリンゴの皮むき指導

仙台市立荒浜小学校…私がかつて勤務した海沿いの小規模校です。
食育に熱心な校長先生を中心に教職員のまとまりがあり、地域の方々は学校のために、子どもたちのためにと協力を惜しまず、恵まれた教育環境にありました。この小学校では、ランチルームや教科での指導のほかにいろいろな食育の実践を行うことができました。
包丁をうまく使えない児童が多いことから、校長先生の提案で給食時間を利用してリンゴの皮むき指導を行いました。事務の先生は2人に1丁のナイフを買って応援してくれました。

収穫祭では学校中にごはんとみそ汁の香り

子どもたちの登下校を見守ってくださるボランティアさんたちの給食試食会は、教頭先生の提案で実施されました。給食を食べていただくことで、子どもたちと共通の話題ができ、給食への理解も深まると思ったので、私も大賛成でした。初めて給食を食べる方もいて、「先生、今の子どもたちは幸せだねえ。でも昔の麦ごはんはもっと麦が入っていたよ」とお話ししてくれたあの笑顔は忘れられません。
秋の収穫祭では、米やサツマイモなどの栽培活動で協力をいただいた方々と一緒に給食を食べました。食材のすべてを荒浜産にしたいという私の提案を地域の方々がうけて、新米の炊きたてごはんと具だくさんみそ汁の香り、そして地域の人たちと子どもたちの笑顔が学校中にあふれました。
また養護教諭と共に健康教室を継続して実施し、おやつの食べ方や運動などを通して、自分の健康は自分でまもる児童の育成を目指しました。

いつの日か心からの笑顔になれるように

こんなにたくさんの思い出がある小学校は、津波が2階まで押し寄せ、1階は流された車が重なっていました。地域は甚大な被害を受け、子どもたちが頑張っていた水田、こだわり野菜を作っていた畑、そして仙台市でただ一つの海水浴場など、豊かな風景はなくなりました。今後は居住が制限されると聞いています。
子どもたちや地域の方々が心からの笑顔になれる日はいつになるのでしょうか。一日でも早くそんな日が来ることを心から願っています。

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