第42回 将来を生き抜く力となる学校給食

愛知県西尾市立矢田小学校 主任専門員・平岩芳延

4年間の民間経験を経て、昭和53年に学校栄養職員に採用されました。まもなく退職という区切りを迎えるにあたり、1年間に作る給食を約180回として36年間で約6,500回も作ったことになる給食の変遷を振り返ってみたいと思います。

米飯給食の開始に伴い、学校給食のおいしさを追求

昭和50年代、栄養士は市町村費栄養士から国庫負担学校栄養職員に切り替わりました。また学校給食に米飯が導入されたのもこの頃でした。月1回の米飯から徐々に回数を増やすにつれ、より米飯にふさわしい副食や、さらにおいしい給食を追求していました。

昭和60年代から平成、献立の多様化を目指す

昭和60年代から平成にかけては、姉妹友好都市などの海外の料理や国内の味めぐりなど、新メニューを開発して料理の種類を増やしました。同時にセレクト給食、バイキング給食などを取り入れ、献立の多様化を図っていました。
そのような中で平成8年には、学校給食で忘れてはならない、腸管出血性大腸菌O157が大発生しました。

衛生管理の意識改革と待望の栄養教諭誕生

平成8年の0157の発生を受け、学校給食衛生管理の基準が抜本的に見直され、給食関係者の意識改革と学校給食の安全・安心が求められるようになってきました。
またその後、国をあげて食育が見直され、授業等で子ども達に直接指導できる栄養教諭制度が新設されました。学校の食育が大きく期待されるようになってきました。

平成20年代は、さらに安全・安心な給食作り

最近はノロウイルス等の感染症の増加、食物アレルギー対応の誤食による子どもの死亡事故で、さらに安全・安心な学校給食と危機管理への対応が求められています。
またTPPの今後の動向によっては、学校給食の安全基準をさらに見直さなければいけないのではないかと思います。

今後に期待すること

高度経済成長期に言われた「豊食の時代」から、子ども達の食環境は飽食→放食→崩食へと移り変っています。
生きる力を育むための学校給食は、小学校1年生から中学校3年生までの9年間で、約1,600回も接する生きた教材です。今まで以上に学校給食が、これからの時代を生き抜く力となり、“宝食”になっていくことを期待しています。

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