第58回「震災、人、つながり」

福島県いわき市立四倉学校給食共同調理場 栄養教諭・鈴木洋子先生

栄養教諭に採用され、勤務地がいわき市から他管内の相双教育事務所になったのは、今から6年前、震災の2年前でした。事務所の1年間は単身赴任をし、相双管内の縦に100キロを超える北は新地町から南は広野町まで、幼稚園から高校まで、食に関する授業・食育推進事業・研究会・学校訪問・試食会等に関わらせていただきました。

広野町は原発事故で避難、給食再開まで1年半

広野町学校給食共同調理場に勤務して1年が過ぎようとした3月11日に震災が起きました。小学校に併設している給食共同調理場に被害はなかったのですが、福島原発から30キロ圏内にある町は避難地域になり、立ち入れなくなりました。1年半後に広野町に帰って給食を再開するまでは、食材の廃棄、器具の除染、除染に伴う片づけ・整理、食器の購入等を教育委員会と調理員・教職員と連携をとりながら進めました。

仲間や「美味しい」の笑顔に出会えて感謝

給食の再開後、小学校においては、児童数の減少で空き教室があるため、校長先生の提案で教室の仕切りをなくし、全校生が一緒に会食できる食堂方式で給食を食べることにしました。震災前と比べると大幅な給食人員減での給食再開でしたが、再び震災前と同じメンバーで給食を作ることができること、子どもたちの「給食が美味しい」の笑顔に出会えることに喜びを感じ、また「学校給食を生きた教材」として食に関する指導ができることに感謝しました。

いわき市の調理場で3年目に再開、工夫の日々

昨年、相双地区から4年ぶりにいわき市に戻り、震災の被害で2年間給食を作ることができず4月に再開した四倉学校給食共同調理場に着任しました。所長をはじめ係長、栄養士(2名)が転勤で変わり、調理員30名の内20名が新採用で、ウェット方式の施設を建て増しドライ方式の施設に大規模改修してのスタートでした。しかし、衛生管理基準からみると問題を多く抱えた施設設備で、2連だけの3層シンク、高すぎる冷蔵庫の入口や釜、流れの悪い排水口等、どのように調理作業を行えば調理員の体に負担をかけることなく2次汚染を防ぐことができるのか、創意工夫の日々です。

給食を教材にT・Tで、気づき・実践につなげる授業を

食に関する指導は、主に学級活動の時間にクラスの実態に応じて課題を決め、給食を教材としてクラス担任等とT・Tで取り組んでいます。自己の問題に気づき、集団思考、自己決定、実践にとつなげるねらいで授業を実施しました。
震災や異動などの思いがけない出来事も、多くの人のおかげで乗り越えられました。今後も、いろいろな方々とつながりをもち、自分に与えられた仕事を行っていきたいと思っています。

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