次の課題は「学校全体で取り組む食育」

今年3月末で都内の小学校を退職した元栄養教諭の大留光子さんと幸田真紀子さん。退職後は全国で調理講師を務めるかたわら、「栄養教諭としてまだまだ伝えたいことがある」、「栄養教諭・学校栄養職員が交流する場が大切」と、仲間と学校給食に携わるサイトを立ち上げました。学校給食の歴史や学校栄養職員・栄養教諭として学校給食に携わった日々、そして後進に託す思いを聞きました。







大留光子さんの顔写真大留光子(おおとめみつこ)
東京都出身。高校卒業後一般企業に就職後、23歳で栄養専門学校へ。昭和53年より荒川区、新宿区、江戸川区、江東区を経て、在職中に女子栄養大学の2部へ通学。平成21年度に栄養教諭として江戸川区に勤務し25年3月に退職。学校給食研究改善協会の調理講師、ウェブサイト「おkayu」のディレクターを務める。

幸田真紀子さんの顔写真幸田真紀子(ゆきたまきこ)
岩手県出身。昭和48年都内の病院に就職するが都合により退職。49年荒川区の小学校に勤務し同区内で13年勤務し渋谷区へ異動。23年間の渋谷区勤務を経て平成22年度に栄養教諭として目黒区で3年間勤務し、25年3月に退職。学校給食改善研究改善協会の調理講師、ウェブサイト「おkayu」のプロデューサーを務める。

Q:学校給食に携わるきっかけは何だったのでしょうか。

大留:私は航空機の客室乗務員という夢を抱きながらも、高校卒業後に一般企業に就職しました。仕事は飽きませんでしたが、ある時見た映画の主人公がひたすら勉強している姿を見て、わが身を振り返りました。そこから「学びたい」と強く思い、何を学ぼうか考え「食べることが好き」なので23歳の時に栄養専門学校へ入りました。昭和53年に荒川区に配属されましたが、専門学校で学びきれなかった後悔から、15年後に仕事をしながら大学の2部にも通いました。

幸田:岩手・宮古市の生まれですが、漁師をしていた父の「これからの時代は女性が仕事をしていく時代」という言葉から始まりました。栄養士としての資格を持っていれば仕事に就いて自立もできるだろうし、家庭に入っても役に立つという父の助言があったからこそ今があります。縁があって、昭和48年に学校給食に非常勤として勤務することになりました。

Q:勤務された昭和50年代頃の学校給食はどのような環境でしたか。

幸田:調理師さんがみなさん年上でしたし、思いや考えの行き違いもあり、自分が「こうしたい」という思いや考えをどのように伝えていったら良いのか苦労しました。今のように教室で子どもたちと接する機会を作ることも難しかったです。私は中学校にも勤務し、中学が荒れていた時代も経験しました。荒れている子ほど「こんなものが食べたい」など甘えてくる子が多かったですね。学校栄養職員は心を許せる存在だったのかもしれません。

大留:現在の学校給食のように主食、主菜、副菜、汁物、と品数が多くなかったので、「学校給食を家庭の食事(理想の)に近づけたい」というのが私の願いでした。でも当時は調理の仕事も一緒に手伝っていましたから、栄養士としての仕事に専念できないことが多かったというジレンマがありました。そこで、給食だよりや教室向けの給食通信を書き、栄養士としての思いを伝えました。また、米飯給食が浸透していった頃には空き教室にランチルームを作り、少しずつ子どもたちと接する時間を持つようになりました。

Q:昭和61年に学校栄養職員の職務内容についての通知が、平成元年には学習指導要領の改訂で学校給食や学校栄養職員が大きく変わってきましたね。

幸田:平成4年に渋谷区内の小学校に勤務していた頃、研究授業の話があがりました。当時は学校栄養職員が研究授業をするということは珍しいことでしたが、まずやってみようと思い手を挙げました。「よく噛んで食べよう」をテーマに取り組みました。それをきっかけに先生方の意識も徐々に変わり、「学校栄職員も授業ができるようになったのね」と声をかけてくれたり、授業の回数も増えていきました。

大留:研究授業に出る機会がなくても、学校栄養職員の研究会や教科外の教育研究会での勉強会を続け、皆が食の指導に向けて準備していたと思います。今思うと区の給食展示会や保護者への給食試食会など、当時はどちらかというと保護者など大人へ向けて学校給食の内容や活動について知らせたり、食育への啓発に重点を置いていたように思います。

Q:平成17年度から全国で栄養教諭の配置が始まり、東京都では20年度に初めて5名の栄養教諭が誕生しました。大留さんは21年度、幸田さんは22年度に栄養教諭としての勤務がスタートしました。

大留:昭和60年頃に栄養教諭という未来像が少し見えてきたので、やれることはやっておこうと思い、管理栄養士の資格を取得し、教員免許を取るために大学の2部に通いました。先生と呼ばれたかったわけではありませんが、校内で他の先生方と一緒に考えて食育活動をしていくためには対等な立場になり意見を交わしたい、そのためには、「栄養教諭にならなければ」という強い思いは確かにありました。食育基本法ができたことも追い風になりました。

幸田:平成17年・18年と資格取得のために仲間と夜に大学に通いました。栄養教諭になり目黒区に異動しましたが、区内に1名の栄養教諭が自校に配置されたということで重要視され、対等な立場で仕事ができ充実した毎日でした。「いつうちのクラスに来て食育の授業をしてくれるんですか?」と若い先生方に声をかけられた時は、うれしかったです。食育に興味があるのだなと思い、積極的にこんなことがしたいと意見を交換することが増えました。
保護者からも年々食育活動が充実してきているとの評価を得ていたので、退職する時には「先生がいなくなっても、今までやっていた食育活動は続けてもらえるのでしょうか」と心配する声もあがるほど。もちろん今後も食育活動が継続できるよう食育の年間計画は元より、学校の教育計画にも明記し、校内の体制も整備してきました。

大留:そこが、これからの課題だと思います。栄養教諭がいなくなったら続けられないという食育活動にならないよう、市区町村が主体となって、この学年ではこれだけの食育をするという共通の基本計画を作ってほしいと思います。そして食育は栄養教諭だけが抱えるのではなく、校内すべての先生を巻き込んでそれぞれの先生が実践できるようにしていかなくてはなりません。

Q:学校給食に携わってきた仲間と9月にウェブサイトを立ち上げました。今後は後進への支えとして活動されるようですね。

大留:私たちは一人職なので横のつながりが強く、かつては「この分野はあの人が得意だから教えてもらおう」という仲間意識がありました。最近はなかなか栄養士同志で教え合うことができないという状況もあるようです。情報はインターネットで探すことができますが、経験値はインターネットで補えるものではありません。
今、調理講師として学校給食関係者に調理講習会をしていると、献立以外にも給食指導のことなど、皆さんからいろいろと質問があがります。現場経験者ならではのことだと感じています。

幸田:献立以外の様々な悩みに気軽に相談できる場を設け、私たちが長年続けてきた学校給食の取り組みや蓄積した食育活動を栄養教諭・学校栄養職員の皆さんにお伝えしたいと考え、「おkayu」というWebサイトを立ち上げました。
食べることは体を成長させるだけではなく、心を豊かにするなど生きて行く上で大きなウエイトを占めています。人生を豊かにする「食」の大切さを学校現場や広く食に携わる人たちにもっと浸透させていきたいと思っています。

大留:現場の皆さんが今以上に前向きになれるように、栄養教諭・学校栄養職員の資質向上にも役立ちたいと考えています。

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